ずぼらなオタ活

Sexy界隈をうろうろしているYJ亡霊のぶろぐ

ジャニオタ人生のはじまり

今週のお題「私の沼」


ということで、現在進行系で絶賛ズブズブな沼は、以前書いたけどケンティきっかけのSexy Zone沼です。


この沼はいいぞ〜。いや、もはや沼とかじゃなくて、薔薇の浮いた綺麗な温泉の方がしっくりくるくらいなんだけど、なんせ5人全員もれなくお顔がカワイイ。カワイイ!そしてカワイイ!嘘みたいだけど本当見るたび新鮮に驚くよね。そして5人全員、毎月お年玉あげたいくらい良い子なんですよ〜〜〜。(モンペ発動)セクゾちゃんの親には今すぐにでも子供の教育方針や育て方を綴った書籍を出版して欲しいくらいです。そんなん買う一択しかないじゃん!?KADOKAWAさんあたりどうっすかね?3000円くらいでも全然買います!



まぁしかし、今回はせっかくお題になっているので、私の沼のはじまりについて書こうかなぁと。


私の沼の始まりは、小学生まで遡ります。
基本的には超健康優良児だったけど、数年に1度高熱でぶっ倒れることがあり、その時も例のごとく数年ぶりの高熱で学校を休んでいました。

熱を出すととびっきり母親が優しくなるあるあるで、体調が回復してきて暇を持て余していた私に、母は買い出しついでに買ってきたある一冊の雑誌を差し出したのであります。そうそれが、、、






月刊Myojo!!!


私の沼への扉が開いた瞬間でした。忘れもしない表紙はカミセンの3人で(時代感)、弱冠10歳の私は爽やかに笑う三宅健に一瞬にして心を奪われたのであります。なので、私のジャニオタ人生における初担当は三宅健だし、私の沼の始まりは三宅沼です。

小学5年生の時にお小遣いを握りしめて初めて買いに行ったCDである「愛なんだ」も、クリスマスプレゼントでお願いしてサンタさん()に買ってもらったV6のアルバムも、毎日時間が許す限り歌詞カードを見ながら繰り返し聴いていたなぁ、となんだか懐かしい気持ちになります。


その後、順調にジャニオタとしてスクスク育った私に対する家庭内における風当たりは非常に強く、「いつまでジャニオタやってんの」「いい加減辞めたら?」という母や兄からの心無い言葉にもめげず(父は無関心)、強い心を持ってリビングのTVで少クラを見続けた結果、見事母親は亀梨担になり、兄に「KAT-TUNのライブ行きたい」と言わしめ、共に参戦する成果をあげました。勝訴!!!!(いつのまにかKAT-TUNに降りてる私)

そもそも今になって思うと、娘をジャニオタにしたのは、誰でもない母であるあなたですけど!?と強く訴えたいですけどね。
まぁ、そんな時期もありつつ、2017年現在も娘はバリバリジャニオタです。母親よ、責任取ってくれ。